祖父と私と絵画のはなし

画家であり、祖父である佐藤徹のブログ。アートのこと中心です。

地中海の絵

昨日は静岡へ帰ってました。
祖父の遺言で、とあるところへ絵画を寄贈するためです。

等迦会以外の展覧会には、そう出さないような大きい絵を寄贈するということで、大きい絵の写真を撮り、サイズを測り、タイトルを確認する作業はなかなか骨の折れる作業で、十枚くらい撮るのがやっとでした。
一番大きい絵は額を入れて、2m近くあり、裏向きにアトリエに置いてあったので、裏返すのが二人がかりでも大変でした。上の方はどうやって描いたんだろうというくらい、大きく感じました。やっぱり脚立を使うんでしょうか?

同時に祖父の描いた軌跡が大きく感じられ、とても敵わないので私は絵を描くのなんてやめようかなとか思っちゃいます。
まあ、私が祖父の死から立ち直れない所があって、趣味程度に描いてるという感じですが、いくらかの人にブログや絵を描いていることを通して、絵画は面白いと思っていただけたら幸いです。

あと今後の展覧会の計画のために湖西市のムーンシスターズへ、打ち合わせというか談笑してきましたが、詳しいことはまだ言えません。楽しみにしていただければ嬉しいです。

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サイト更新しました。

佐藤徹の色彩のホームページのほう、少しですが更新しました。

少しに見えますが、色々照らし合わせてから載せてるのでなかなか時間かかります。

無題と書いてあるのは、祖父がタイトルを付ける前に他界した絵だからです。

あとサインを入れてない絵もあって、どうしたものかと悩んでます。

(ちなみに無題の絵はサイズを見るのを忘れてました…。)

竹内栖鳳の班猫みたいな

雑誌のPENやBURUTUS等のグラフィックデザイン、アート特集が好きで出ていれば買っているのですが、ここ最近見逃してるだけなのかも分かりませんが、全然見なくなり寂しい限りです。Webデザインの特集で中村勇悟さんとか載ってて、当時はWebなんて知らなかったので面白かったんだけどな〜。

 

今日は展覧会の午後の当番の日でした。

午前中は来てくれる人が多かったようですが、午後になって雨足が強くなり、来てくれる人が少なくて寂しかったです。お客さんが描いてる人の知り合いが多いということがあるのかないのか分かりませんが、絵の評価にシビアにツッコミ入れてくれる方が多くいらっしゃったようです。

私も絵画教室の先生のお知り合いの藝大出の方がお見えになって、評価や技術的なことを教えてもらい貴重なご意見をもらえました。私の絵は夢の尻尾を追いかけるような感触の絵なので、夢から半分覚めた視点で物を見るということが、逆に必要な感じです。

 

ところで、最近は猫の絵が描きたいと思い立ち、スケッチブックに猫の絵ばかり描いてます。

というのもブログを見ていて猫の画像で癒されるという趣旨のタイトルで、癒されたくて開いたら多くの野良犬、野良猫が人間の勝手な都合で捨てられたりして、年間17万匹が安楽死ではなく殺されているというのです。ブログはそのあとかわいらしい猫の画像で埋め尽くされてましたが、かわいらしい写真で引きつけられて、やられたと思いました。

私は無類の猫好きで、東京のアパートは残念なことに猫が飼えないけど、代わりにボランティア団体へ寄付したりしてて、それでもなんだか良心の呵責に耐えられない感触がします。

幾らか家族に支援して、実家では母親が野良出身の猫をもらい受け、静岡にいた時に私は、なんだか猫を狭苦しいボックスに入れていたブリーダーのところから猫を“買い”ました。

ちなみに“買った”ほうの猫は、ちょうど私が精神的にまいっていたときで、知り合いにブリーダーの所に連れてかれて一目見て癒され、この子がいれば辛いことも忘れられると思って、家族の一員にしました。

 

竹内栖鳳さんは八百屋で譲り受けた猫のことを勿論かわいいと思って描いたのでしょうが、ただかわいいと思って描いたのではなくて、現実の猫っぽい仕草まで愛してよく観察して描いているのが分かります。でないとあんな一瞬の姿勢の猫は描けないんじゃないでしょうか。竹内栖鳳さんには挑むべくもないですが、猫の絵を描いてみて、また見てもらいたいと思います。

ちなみに祖父は特別動物好きではなかったようですが、なぜか猫と縁があり、晩年猫の絵にトライしてみましたがうまく描けなかったとぼやいてました。猫はじっとしてませんものね。

 

展覧会搬入の日

今日は私が所属している絵画教室の展覧会の搬入で、練馬区立美術館にいました。私は額縁の裏の紐の結び方もネットを見ながらでもよく分からず、先生にあっさりやってもらい、さらにワイヤーを天井から垂らすのも男性の方々にやってもらい、あれよあれよと言う間にやってもらってばかりで、準備が終わりました。

飾り終えてみると、絵に色んな思いが詰まってるのが観て取れて、面白かったです。

 

展覧会は今日から9日の14:00くらいまでですが、私の中では次に描く絵のことで色々ああでもないこうでもないと、繰り返して考えたりスケッチしてます。次に描く絵はまだ先生に相談してませんが、段ボールに描くということをやってみようかなあとか。使ったことがないけど、アクリルガッシュというのを買えばいいのかな。

 

ちなみに祖父はジェッソとかローラーとか使って絵を描いてるのを見たことがないです。あくまでキャンバスに絵の具と筆とナイフと、まっすぐ線を引くための棒のみで立ち向かってたようにみえます。

そういえば、静岡県立美術館で4/4から佐伯祐三の絵が飾られるということで、見に行きたいなと思ってます。佐伯祐三の絵は3枚有名なのがあると聞いて、そのうちの2枚はブリヂストン美術館で観たのですが、観てないほうの絵が飾られてるといいな。

祖父の最期のとき私は祖父を元気付けたくて、壁に地中海の写真や色んな画家の絵葉書を貼ったのですが、祖父がかえって気が重くなってしまったらしく、結局壁に残ったのは佐伯祐三の絵葉書だけでした。祖父も好きでした、そう意味でも想いが強い画家です。

アートのモノクロとプロデュース

若い頃、まだ大学にいた頃は先生には偶然デザインに来たと言われたものの、私なりにはデザインやアートに使命感のようなものを持って課題に挑み、小論文のようなものをマジメに書き、また学生同士で展覧会をやってみたりしました。なんていうか仮面優等生でした。

ところが、佐藤可士和さんのようなデザイナーや上流のデザインに憧れつつも、卒業や年を経るにつれて、デザインをやっている仲間があっという間に減っていき、商業デザインというものに足を絡め取られている、多くのデザインやくざのうちの一人です。まだまだ腕も考えもチンピラです。

そこへきて何なのですが、佐藤徹の作品集を作れないかなと仮定して、ちょっと思ったのは、色彩の大胆さが際立った祖父の絵ですが、それをあえてモノクロで作ってみたらどうだろうと思いました。というのも最近、読書中にウィレム・デ・クーニングさんという方の抽象画の絵が小さくモノクロで掲載されていたのですが、その絵をワタシは面白いと思いました。きっとここはこんな色で、ここは繊細にここはダイナミックに描かれてるんだろうなあ、などなど。

水墨画の考え方で、あえて墨の濃淡で絵を描いて色を感じてもらう、みたいなことを思い出しました。単にオールページカラーで出すのはお金がかかるという理由もありますが、作品集というものそれ自体が記憶の残骸でしかないものだから、モノクロの作品集があっても面白ければいいんじゃないかと思ったのです。

まあ実現はしない、あくまで仮定の話ですけど(笑)。

絵を描いて生きてくことなんてできない。

タブレットの時代になって1番割を食ってるのは絵画や彫刻、日本画などのアート作品ではないでしょうか。だから現代美術というジャンルができ、複雑化してるのかな?

あと、日本ではまだそれほど顕在化していないですが、アメリカなんかでは新聞社がネットに食われて廃業が相次いでるとも聞きます。。

 

祖父は亡くなる前に病室で絵をああしろこうしろと言っていたのですが、出来たのはほんの僅かであとは諸般の事情もあり難航してます。

なんで難航してるか考えてみると、祖父にも私にも共通して思ってることは、絵を大事にしないような人にまで無理して、頭下げてまで絵なんて売らなくてもいいとどこかで思ってるからではないでしょうか。ましてやこのご時世ですから余計にそうです。

 

そうすると私が傍から見ていい絵を、祖父が要らん絵はどんどん破いて捨てろと言っていたのも道理です。祖父の言ってることは絵が売れるのはやぶさかではないけど、無理して買って欲しくないということでしょうか。画家っていうのはどなたも偏屈な人が多いです。

 

絵は描き終わるまではアートですが、売買の時点ではドライに言うと製品で、売らんがためには売るに当たっては他の製品と同様に頭を下げて売る姿勢で、売りたかったら営業活動も積極的にやる必要があったのかもしれません。

 

私は祖父の絵を売ったお金で暮らす気はないし、絵を売るより広められたら万歳です。でも果たして富裕層が行くであろうゴルフ場などに絵を飾らせてもらうか、展覧会を何度もやるべきか、新聞やテレビに宣伝してもらうか、私が絵を描いて三世としてブログやホームページなどで話題性を作るかとか考えたり、どの方法がいいのか分かりません。私が絵を描くとなるとまた話がややこしくなりそうですし、こうやってブログにアップするくらいが丁度いいのかも。

 

祖父の絵は家族だけで愛でるべき絵なんでしょうかねえ。祖父の死から半年以上経ってますが、色々考えることや祖父の思惑がはっきり見えないことなどで少し疲れてきました。祖父が文部大臣賞の絵を燃やしたというのを聞いただけでこの苦労は予測できたでしょうね。

何かいい考えはないかな…。今日は愚痴っぽいブログになり申し訳ありませんです。

等迦会の展覧会にて

今日は親戚も交え、佐藤徹が属していた国立新美術館でやっている等迦会の展覧会に行って来ました。全体的に色んなジャンルの絵が飾ってあり、息苦しくない印象でした。あと大きい絵ばかりで出すほうは大変だなあといった感じです。

祖父は生前この絵を東京でやるなら展示して欲しいと指定していて、それが今飾られている〝白い街〟と〝コートダジュール〟です。〝コートダジュール〟は去年の始めに描かれた絵で、祖父的にはもう身体が疲れてこんな大きな絵は描けないと、ひいひい言って描いてたそうですが、地中海の青が美しく、何度も観たくなるような吸い込まれる透明さのある絵でした。

〝白い街〟は多分、昔描いた絵だと思うのですが、木村忠太さんのタッチに似た絵で、白を表現するために色んなピンクやブルーや薄いイエローを使った絵で、異国の街に来たような気持ちにさせてくれる絵です。

祖父の残したキャンバスを使って絵を描いてみたら、キャンバスの生地が荒くて使いづらく、よくこれを使って描けるなあと思いました。経験値が凄過ぎるんですね。

油絵の具も大量にあって、まだまだいっぱい絵を描きたかったのだなと思うと、切なくなってきました。

鑑賞後に3階のフレンチレストランでお昼をいただき、祖父の思い出話に花を咲かせました。祖父はレストランなどで食後のコーヒー(祖父は決まってエスプレッソでした)を出されたときに出てくるブラウンシュガーを、黒糖だと言って食べていました。本気で黒糖だと思っていたのかどうかよく分からない祖父でした。

あとお肉が大好きで、1人で焼肉にも行ったらしいです。そういう背景なのか、うちの家系は多くの人が若干?太り気味で、食いしんぼうの料理の得意な家系になりました。

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