祖父と私と絵画のはなし

画家であり、祖父である佐藤徹のブログ。アートのこと中心です。

第25回等迦会支部展

湖西市での展覧会もつつがなく終わり、一堂ほっとしています。昨日は祖父へ展覧会が無事終わったことの報告に、お墓参りへ行ってきました。祖父が絵の題材にしたスターチスを一輪添えました。足を運んで下さった皆様、お花や差し入れをくださった方、祖父の絵を気に入ってくださった方には感謝の気持ちでいっぱいです。

アトリエを見回して来たのですが、祖父も亡くなる前に病院で言ってましたが、まず花壇を撤去して駐車場スペースをなるたけ広く確保すること、それからもう要らなくなった大きな机の撤去に邪魔な、後付けのアトリエ内の水回り関係の撤去。。人数を確保しても、とても素人だけではやりきれません…。どういったところへ頼めばいいんでしょう、悩みは尽きないです。

さて今度は、クリエートはままつのギャラリー35で、10/7(火)~12(日)のAM9:30~PM5:00(初日は12:00から、また最終日は4:00まで)、祖父がいた等迦会の第25回静岡支部展で絵を展示します。いつもは大きいサイズのものを展示していたのですが、今回は2点ということで運搬が大変だったので、そこそこ大きいサイズの絵を出しました。
宜しければこちらも観に来て頂けましたら幸いです。

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地中海展の様々なご意見

湖西市のムーンシスターズさんでの展覧会も残すところあと3日となりました。
佐藤徹が亡くなってから初めての展覧会で、果たして人は来てくれるのかと冷や冷やしていましたが、蓋を開けてみれば、なんと初日のまだ絵の価格も決まってない内(絵の価格を付けることをすっかり忘れてました…)からお越しいただき、予約されていく方もいて、びっくりしました。

その選ばれた絵は祖父の作品の中でも、特に祖父がこういうの描きたい、目指していきたいと思ってたという繊細な、時のうつろう感じの印象的な絵で、「そうか、これが真っ先にお嫁に行くのか」という感慨深い気持ちになりました。

土曜の午前中なんて、人は働き疲れてゆっくり来るだろうと思って、私達ものんびり行ったら、ムーンシスターズさんから今どちらですか〜?と電話が来て、向かっている道中で「もうお昼だしご飯食べてから行こうか〜」なんて話してたのですが、それを聞いて慌てて行きました。祖父が天国から降りて来て、あいつらまだ来ないのか!?と苛々してる様子が目に浮かぶようでした…。

今回の展覧会で色々貴重な意見をいただき、今後参考にしようと思います。例えばやっぱり袋井のあの白いアトリエで、徹の絵を観たいという意見もチラホラあって、大規模な片付けを検討しています。祖父は(そして私も)片付けや整理整頓がやや苦手だったというか、何かと言うと大きい机や、どこに置くの?というような立派な椅子や、ヨーロッパ風の化粧棚を嬉しそうに導入したり、また日曜大工が好きで、台やキャンバスまで自分で作っていて、なんだかよく分からないもので今もいっぱいです。

あと以前にも書きましたが、祖父は多分30年くらい前の画家デビューしたばかりの頃、木村忠太さんに憧れ、模倣してたような時期があり、私は素人考えなので模倣はよくないんじゃないかと思ってたら、徹さんが描くああいった絵、好きですといった意見もあり、そういうニーズもあるのかなあ〜と思いました。

あと、年代の分かるような画集があればいいのにという意見もいただきました。しかし祖父は制作年月日を書かない人だったので、大体しか分かりません。また立派な画集はきっと、ウン百万の予算と、詳細な経歴の調査と編集と、既にお宅でお持ちいただいている絵画の掲載と撮影のお願いに東奔西走しないといけない…?のかなあ。ドラえもんに頼みたいところです。

あと、個人的には最晩年に描かれた銀座・月光荘画材店のパステルっぽい淡い絵の具(わたしがプレゼントしました)の絵が、徹らしくないと思われたのか、あまり話題に上らなかったのが残念です。晩年、体力がなくて、小さいサイズの油彩しか描けなくなった頃に、どれどれと使ってみたら本人は面白いと言って気に入っていたのですが、確かに若い頃の躍動感からは遠ざかったかも知れませんね。でもきれいな色だし、思い出深い絵です。

まあ、私は非力ですが、できる限り実現できるよう頑張っていきたいと思います。

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展覧会の搬入を終えて

昨日やっと搬入が終わりました。私は離れて絵を見て無我夢中でこの絵はこっちがいい、あっちがいい、これとこれはぶつかる等、天皇陛下のように言ってるだけでした。

だけども、前々日に急遽、佐藤徹略歴を作り、翌日東京が地震で新幹線や電車のダイヤが乱れる中、新幹線に飛び乗り、バスで母の家までカメラ等の大荷物を持って、ヘトヘトだったので、どっと疲れました。
生前の祖父に比べてビックリするほど体力がないことに驚いていますが、後は観に来てくれる人を待つばかりです。ちなみに貼れパネのタイトルのカットは、急用ができて時間がなくなってしまったので、ムーンシスターズさんにお願いしてきちゃいました。

祖父が亡くなって初めての展覧会で、色々緊張したり、考えていかないといけないことが出てきました。祖父は生前、もう一度画集を作りたかったと言い残していたので、私達の思い出という意味でもそれを叶えてあげたい、でも今までは祖父の人柄で人が来てくれましたが、本人がいない中でどこまでやれるか、付いてきてくれる人がどれほどいるか、祖父の絵の真価が問われるところです。

祖父が亡くなる前に気にしていたのはこの地中海の展覧会と袋井のアトリエをオープンアトリエにすることでした。予算が許せば袋井のアトリエをオープンアトリエにしたかったのですが、オープンアトリエはさすがに無理そうです…。生家とはいえ、ファンが多いとはいえ、あまり立地がよくないですし。。

それからよくない絵を切り刻んで焼却場へ持っていくこと。。言い方が残酷ですが、これも祖父が自ら生前よく言っていたことです。

今あるアトリエも老朽化でガタが来ていて、なるべくアトリエの中を片付けたいのですが、絵を切り刻むことがちょっと躊躇われる、でも祖父の意向に逆らって絵の価値を理解してない方々に、絵を上げるくらいなら切り刻むことも考えてます。

この不況で美術業界は銀座の画廊の求人欄から察するに、今や富裕層の日本人以外は富裕層の中国人やフランス、英語圏の人をターゲットにしてるのかなという感じですが、絵が売れないからと言って祖父の言いつけ通り、バナナの叩き売りのような安売りはしたくありません。

色々取り留めのないことを書きましたが、とりあえず今後の展開は今回の地中海展の反響次第で、期待と不安がない交ぜになって展覧会を迎えようとしています。。

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個展の5日前の夜より

この前の記事の続きですが、8/14付けの中日新聞袋井市の地域版に袋井市の原田市長へ祖父の絵を贈呈した親族である私達が記事と写真で掲載されました。載るとしたら市長と佐藤徹の顔写真や絵画が載るくらいだろうと思っていただけに、こっぱずかしい限りです。(恥ずかしいので画像は祖父の絵で隠しちゃいます…。)でも亡くなってからも新聞で取り上げてもらって、祖父も嬉しいだろうなあ。市役所の入り口で「おうっ、ここだ~!」と言って待っててくれたんじゃないかなあと、勝手に思ってます。

佐藤ブルーのことが記事に書いてあったのですが、昔祖父から、このブルーはこの色とこの色をこの比率で混ぜると出来ると、こっそり教えてもらったのが思い出されます。(企業ヒミツと言うことにしておきます。)

9/20からの湖西市のムーンシスターズでの展覧会のDMのハガキのデザインは早く終えたつもりだったです。しかしながら、やっぱり祖父が亡くなったことを知らない方もいるのでは?と、ムーンシスターズさんからご指摘を受け、急遽展覧会のDMの序文を僭越ながら私が作り、それに合わせてハガキのサイズもかなり大きくなりました。

ちなみに今度の展覧会のテーマは祖父が最期まで憧れ続け、かつ何回も行って愛し続けた「地中海」で、外国の風景ばかりになります。

小さめのポスターも作ったのですが、初めは作ろうかどうしようか、印刷はどこに頼めばいいかなどで悩んでいたために時間がなくなり半日で仕上げました…。またDMの設置やポスターを貼らせてもらえるかもしれない場所の確保に色々電話でお願いして、あまり得意ではないコミュ力もかなり使いました…。

パソコンを使ったDMの宛名の入力作業も、以前の展覧会に来て頂いた方が書いて下さった住所録を読んで、宛名を作り、もう、やっと、早ければ火曜日に届くんじゃないかなあと思いますが、私には読めない漢字が度々出てきたり、達筆過ぎてさっぱり読めなくてDMが泣く泣く送れないものも時々あります。
流麗で美しい字より、郵便番号を端折らず、楷書で書いていただけると私が泣かないで済みます…。他にも、プリンターがハガキを頑なに拒絶し続けたり何かと頭を悩ませました。
祖父は天国でそんな私を見て達観していることでしょう。

話しは飛んで、以前から額縁選びや美術品の運搬取り付け諸々で、祖父が生前からよくお世話になっていた浜松市茄子町にある書繪堂(ショカイドウ)さんには、社長さんがまだ18歳だった昔からお付き合いがあったと知り、ポスターも貼らせて頂けると快く言ってもらえて、ただただ感謝申し上げる次第です。
他のところでもポスターを(暫定の所もあるのですが)、計10カ所くらいのところで貼ってあるので見つけていただいて、祖父の絵を思い出していただけるきっかけになれば幸いです。

貼れパネで絵の下のタイトルを作る作業も、まだこれからしなければいけないのですが、私が今住んでるとこは大きな机と大きなカッティングボードがないので一苦労です。手先の器用な母に頼んで(佐藤家は手先が器用な人が、祖父と言い母と言い多いのですが、私は不器用なのです…。祖父は紐を括り付ける天才でした。)、実家へ戻ってやることになりそうです。

祖父は80歳まで毎年毎年こんな大変なことをやっていたようで、全く感心します。。

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大きい絵画の寄贈

先日、祖父である佐藤徹の遺言の一つであった袋井市への絵画の寄贈を無事果たしました。

大きい100号くらいの絵をどこかの老人ホームなどの公共施設へ飾ってもらいたいと、亡くなる2、3日前に言っていたのがその理由です。
そこで、祖父の出身高校である掛川西高校の繋がりから、色んな方に尽力して頂き、最終的に祖父と同じ高校を卒業された袋井市の原田市長へ寄贈の段取りを取り付けて頂きました。お力添えをして頂いた方にはただただ感謝申し上げます。

8月4日に贈呈式を袋井市役所の応接室と市長室で行わせて頂きました。
そこで、広報に載せるためか写真を撮影し、原田市長と握手を交わさせて頂きました。私は緊張することこの上なく、お茶ばかり飲んでました…。
原田市長はお年を感じさせない大変アグレッシブな方で、積極的に絵をどこに飾るか考えて頂きました。。祖父もさぞ、感無量で嬉しかったと思います。

原田市長からお返しにと、市長室に置かれてあった市長の奥様が作られたというステンドグラスの電気スタンドを頂きました。見事な仕上がりのステンドグラスで、そんな高級品に触ったことがないので、どこに置けばいいものかもう、頂いた瞬間は頭が真っ白でした。
今は家の祖父の水彩画の横に鎮座しています。このステンドグラスを点けてワインなどを母と飲んで、祖父の写真と共に乾杯しようと思います。

絵画は袋井市長室や祖父が出た小学校や中学校、月見の里学遊館などで飾られる予定です。機会があれば大きい絵も見て頂きましたらと思います。等迦会へ出品するとき以外には滅多に観れないサイズと迫力の絵ですので、足を運んで頂きましたら幸いです。

 

展覧会の告知。

最近、知人が病気で入院してしまいました。普段から仲良くしている友人なので良くなってほしいと思い、時々お見舞いに行っています。

病院に行くといつも、祖父が入院してた時の
「東大出の看護婦っていうのはお前かー?」
と、点滴を替えるか何かしていた看護師さんに向かって言っていたのを思い出します。(看護師さんはムッとしてるように見えました。確かにそうですね)
傍でやり取りを聞いていた私は、突然何を?と思い、芸術家にはやっぱり自由奔放な気質がついてるんだなあと思いました。

未だにあんなに自由奔放で元気な事を言っていた祖父が亡くなったなんてという感じです。そういえば常日頃から、笑いを取りに行くのを忘れない祖父でした。先日には近親者で無事一周忌を終えました。
画像は家族で旅行に行った先の長野県信濃川の絵です。祖父は私がカメラ係りを買って出たのがうれしかったようで、荷物も少なくホクホクして歩いてはスケッチしてました。3年くらい前の絵だったかな。

さて、祖父の展覧会の時期が決まりました。湖西市のムーンシスターズで、今年の9/20~9/29(木曜定休)です。宜しければ是非足を運んで、御覧になって頂ければ幸いです。

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座敷わらし

詳細は不明ですが、一度人手に渡った絵が戻ってきました。

浜松市泉町にある解体業者さんから、なんでも廃ビルか何かに絵が置いてあって、裏に住所が書いてあり佐藤徹の色彩ホームページをご覧になってくださって、ここなんじゃないかと言うことでご連絡を頂き、絵を取りに行きました。
どうも話を人づてに聞く限り、この絵の所有者の方は何か事情があってすぐに事務所を引き払ったような感じでした。

解体業者の方にはご連絡を頂いた上に、額縁の裏に着いてしまった松ヤニを取り除いてくださり、感謝の気持ちでいっぱいです。

絵が返されたことは残念と言えば残念ですが、いい絵なので座敷わらしが戻ってきたような気分です。

海の色が宝石のように輝いたようなロマンチックな絵で、今はうちに飾られてます。

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