祖父と私と絵画のはなし

画家であり、祖父である佐藤徹のブログ。アートのこと中心です。

表現者として

佐藤徹アトリエと看板を出して、幼稚園から小学生くらいの子ども向けの絵画教室に日曜の朝、毎週だったかな?無理やり行かされた(といってもアトリエまで数歩)思い出があります。今思えばあのとき素直に受けていれば東京藝大にでも行けたかも知れません…?ちなみに祖父は美大に行きたかったけど、父親が戦争で亡くなり、経済的な事情で学校で絵を習うのを諦めざるを得なかったと聞きます。私が地方のとはいえ、一応美大に入ってどんな思いだったか…。

絵画教室の当時、私は幼稚園児か小学校低学年で、朝からの教室だったので眠くてぐずりながらだったのを覚えています。内容はというと童話から絵をイメージして自由に描いてごらんとか、クリスマスに向けて紙の上にツリーを模した紙を貼って、折り紙や何かで自由にクリスマスツリーを表現しようとか、花の絵を描いてみるとかそんな感じだったと思います。ときには他の子どもの親御さんの参加もあり、それがキラキラしててきれいに思えたので、それを見てすぐ真似したりしてたのを覚えています。楽しかったかどうかは忘れましたが、負けず嫌いな子だったのはよく覚えてます(笑)。

今日はお決まりの(大人の)絵画教室でした。まだまだ熟成されてなくて、OKのサインが出ないので、少々焦り気味に油絵を描いてました。しかも時間がないのにプロットをやや大きく変えたい、変えなきゃと一部大幅に描き直しました。

また今日はピエール・ボナールという画家の絵を知りました。色彩の魔術師というくらい色をうまく扱うフランスの画家です。私は祖父の絵を見ていて分かってたはずなのに、白の中に黄色い色があるとか、青と一口に言っても色んな青があるという基本的なことを忘れていました。言ってしまえば子どもの描くぬりえのように描いていて、自分はなんて絵が下手なんだと思い知らされました。

私が油彩画を祖父の死後に再び始めたのは、祖父の絵の続きが観たいと思ったからです。勿論、どう足掻いても祖父の絵を他人が代わりに描くことはできませんが、表現者として、デザイナーと画家の二足わらじで、破綻しないように気をつけつつ、やれるとこまでやっていきたいです。

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