祖父と私と絵画のはなし

画家であり、祖父である佐藤徹のブログ。アートのこと中心です。

絵を描くモチーフについて

祖父はフランスやイタリア等の地中海が好きで、美大に経済的理由で行けなかった反面、20数回の渡欧でそのコンプレックスを振り払ったのだと思います。祖父は学業の成績は良かったので受験すれば東京の美大へいけたでしょうが、戦争で一番の働き手である父親を亡くし、家族の面倒をみるために大学へいくのを諦め、地方公務員として働き、50歳になってから画家デビューしました。
学歴コンプレックスなんていいじゃないかと私は思うのですが、世の中はそうは見てくれないのかな、或いは画壇と関係を築けないのかなあ、と思いました。祖父は絵を描くときは真剣そのもので、拷問道具みたいな巨大なイーゼル(キャンバスを固定する三脚)の前でガリガリ描いてたのを、よく覚えています。

一方私も子供の頃から絵を描くのが好きでした。友達に言われて漫画の絵を描いてあげたり、絵が描ける友達数人と集まって、絵を描くお題を取り挙げて一番似てるとか似てないというゲームをたまにやってました。(例えば織田信長とお題を出したらみんなで信長を描いて、これ似てるとか、はたまたこんなの信長じゃないよ~とか言い合ってました)。
話は逸れましたが、私は子供の頃ひどい小児喘息で、勉強以外が忙しい子だったので、せめて自分への癒しの為に、自分がイメージした絵を描いてたりしてました。でも祖父の絵や、祖父が絵を描く姿を見て、大っぴらには描けなくて、自室でこっそり描いてました。

例えばこの前ブログに途中までの制作過程を載せた、レモンの木と競泳水着の女の子とプールに沈んだ地球儀などがそうです。初めてあの絵をイメージしたのは、大学に入る前でしたので、かなり前です。不思議な絵だけど、イマイチ、漫画の絵から抜け出せない稚拙な絵だと自分で評価して、大学でデザインを専攻したときに自分のイメージした絵を描くことを封印しました(風景画はごく稀に描いてました)。なぜならデザインというのは、広告などの媒体の中で主張こそすれ、決して自己満足になってしまってはいけない、イメージした絵は自己満足になることが多いと思ったからです。

でも祖父が亡くなって、絵を描くことに自由になったところで、自身への癒しのための絵を描くか、祖父が愛した地中海などの風景画を描くかで、揺れ動いています。想像上の絵を描くのは、漫画の延長線上のようで私自身はそんなことを意図してないし(別に漫画家や同人作家さんなどを揶揄する気はないですが)、何と言っても表現が難しいというのがあります。また祖父が愛した地中海などの風景画は、祖父ほどではないにせよ私も愛してます。


つまるところ何のために表現活動をするのかですね。祖父は職業画家だったので(まあ晩年になってからは年金受給者と言っていましたが)、自由奔放に見えても、ときには描きたくない絵も描いたのだと思うのです。祖父も自分が癒されるから絵を描いたということもあるのかなあ。
まあそれはさておき、どっちに行こうか、自由であるほど迷うものはありませんね。