祖父と私と絵画のはなし

画家であり、祖父である佐藤徹のブログ。アートのこと中心です。

デザイン学について。

今までアート(美術系)関連の話ばかりだったので今日はデザイン(商業系)の話もしてみようと思います。

実は、私は教授に言われたように“偶然、デザインに入ってきた”のでした。私は高校卒業後、ホントは理系の大学に行きたかったんですが、浪人して落っこちて、祖父の勧めで家から通える美術系の短大に入りました(悔しかった)。

そこで故・高田修地教授に出逢いました(タカダノブクニと読みます)。資生堂のグラフィックデザイナーを経て、最初の東京駅の路線図のダイアグラムを作ったり、故・石岡瑛子さんと仕事をされていたり、なんか、色々スゴイ人でした。眼光や考えが鋭く、私たち学生が物事を3まで読んでいるとすると、先生は10を跳び越えて12まで読んでるような感じでした。他の学生の子は「高田先生が評価してくれるツボが分からない」と嘆いていました。

私はデザインのデの字も知らない状態で入ったのですが、他の学生より歳上だったせいか、あるいは祖父に芸術の筋力を日頃から鍛えられていたせいか、仮面優等生でいられました。そんなこんなで卒業制作には源氏物語のダイアグラムというのを作り、なんとか卒業できました。それから二年専攻科課程というのへ通い、四年制大学と同じ資格を身につけました(でも今思うと、あまり役に立たなかった)。ですが、卒業後に暫くして気づいたことは、学校で考えていたときのデザインと世間一般でいうデザインとは違う、ということでした。

 

今なら、「そうだよ」で済ませてしまうんですが、学校がその後の人生で使うスキルをあまり伸ばしてくれる訳ではないのです。美大で行うデザインというのは、卒業後に研究生などでやっていく人のためのサポートでしかなかった。世間知らずの私は面食らってしまい、卒業後、社会ではまたイチから始めるつもりでデザインをやっていきましたが、デザインは、下流の受け手側で様々な要求に翻弄されて消耗するばかりでなく、情報を発信する上流の側からも作り込まないと面白味が少ないかもなあと思いました。

そういえば教授はデザイン雑誌に決して載らないデザイナーやデザインがあるよと、なぞなぞを問いかけるように教えてくれたことがありましたが、それはこのことだったんだろうな。いつかそういう方面のデザイナーに会いたいです。

結論言うと、あんまり考え方がアカデミックになっても職場で頭でっかちになって困り者だし、表現をやる覚悟なら自分から発信していけという感じです。高田先生が修了式に黒板に書いた、「表現者であれ!」という言葉を久しぶりに思い出しました。書店には色々な数のIllustratorPhotoshopのハウツー本がありますが、こちらは受け手側のデザイン学で、デザインを大学で教わるということは、上流からデザイン学を紐解いています。久しぶりに、上流のデザイン学に触れたいと思った次第です。